好きになること あと虚無

今29歳だ。

30歳になりたくない。本当になりたくないぜ。

ドントトラストオーバーサーティー

 

大人になると、何かを好きになるということが極端に減る。とおもう。

自分だけだろうか。

10代の頃は、そこらじゅうに運命があって、恋があって、熱狂があった。

一瞬でいろんなものを好きになって、すごい集中力で好きなものに没頭できた。

 

今はもう、好きになることは、それだけで宝石である。

 

サンリオに恋をしたのは、24歳くらいのことだったとおもう。

歯科衛生士の専門学校に入る前くらいだ。

それから今までずっと好きで、この先は分からないけれど、今あるこの気持ちはわたしのダイアモンドだ。

大人になってから、こんなに大好きなものができたのだから。

 

ミステリを読むようになったのも、同じころだと思う。

最初は島田荘司森博嗣を沢山読んだ。

世の中にはこんなに面白い本があるんだ! と思った。

京極夏彦の本の分厚さに最初は驚いたが、読んでみたらあまりにも面白くて何冊も読めた。

それまで全く読書をしなかったのに、純文学やノンフィクションも読むようになり、気付けばカズオイシグロを読んで感動していた。

今は浩基陳という香港の作家のミステリを読んでいる。

わたしもミステリ書いてみたいけど、トリックだけが浮かばないね~。

 

あと、昨日またONIGAWARAをみにいった。

これはほんの1か月くらい前に好きになった。

わたしはもう一生小山田圭吾とpuromusic(ピューロランド関連の音楽全般を勝手にこう呼んでいる)を聞き続けて死んでいくんだとおもっていたので、新しく好きな音楽ができて嬉しい。

「人生イージーモード」という曲がすごく好きだ。

歌詞が、つらいことあるけど余裕余裕って言い聞かせて生きていこうね~って感じで、共感しかない。

 

こうして好きなものの話を人にすると、「趣味があっていいね」とか、「人生楽しそうでいいね」とか言われることが多い。

その度に、やっぱり大人になると「好きになること」に飢えているのかも、と思う。

もしくは、バカにされているのかもしれない。

わたしは鈍いのでそういう機微が全くわからない。

 

ただひとつ言っておきたいのは、わたしの中には常に大きな虚無感があるということ。

微々たる稼ぎでエンターテイメントを消費して、あーよかったなって言って、また消費して、あーよかったなって言って、そんな感じで死んでいくごく一般的な人間としての虚無感。

わたしの言いたい事、上手く伝わってますか?