週刊ゆふあや サブリミナル

水曜日

リモコンのおもちゃの隠しコマンドが分かった。

品名はトップトッツのはじめてリモコン。これは、本体を床や机に叩きつけるとメッセージ(何を言ってるのか聞き取れない)の後に「ゆかいな牧場」のメロディーが流れるようになっている。

ボタンに秘密があるとばっかり思って、同じ色のボタンを一緒に押してみたり、数字を逆から順番に押していったり色々していたが、ロジックで分かるような仕組みでは無かった。結局私は謎を解けず、見かねた名探偵のんちゃんが、ハイチェアから床に放り投げて教えてくれたのだった。

品名で検索するとサジェストに「隠しコマンド」と出てくるから、同じ謎を抱えた人が大勢いるはずである。彼らがこの日記に辿り着くことを祈っている。

 

木曜日

のんちゃんと電車に乗る。電車に乗れないとどこにも行けないので、慣れてもらうためだ。実際、これまで怖がっていたもの、例えばジャンパルーというおもちゃや、ラッコの絵がついたベビーバスなども、何度も使っているうちに怖がらなくなったという経緯がある。電車もきっと、何度も乗っていれば泣かなくなると思う。

いつもはベビーカーだけれど、今日は抱っこ紐にした。のんちゃんは安心できたのか泣くことなく、キョロキョロと電車の中を見回していた。小さな声でお喋りしながら3駅乗って、別にやることもないので本屋をウロウロして、プリン買って帰った。

夕飯の後、そのプリンを食べながら、また「ザ・スーサイド・スクワッド」を見た。博士の頭のトゲが回想シーンでは少ない事に気が付いて笑った。全部のギャグの中でこれが一番面白い。

 

金曜日

ちまちま読んでいたミシェル・ウエルベックセロトニン」を読み終えた。

人生の幸福を「若くて美人で金目当てでもない、セックスが好きな恋人を持つこと」だけだと思っている裕福な男が、歳をとり、薬の副作用で不能になり、自分は二度と幸福になれないということを理解していく物語。

この主人公は、自分の幸福を限定することで早期(40代)に絶望してしまっているけれど、じゃあ自分はどうなんだろうかと考えた。そして、幸福を感じることはいくつかあるけれど、それ程多くもないことが分かった。幸福を得る時代はもう終わりかけている気もするし、となると、後は失っていくだけの人生である。40代にはまだ絶望しないにしろ、50代は?60代は?こう文字にしてみると本当に悲しいが、人間とは、老いるとは、きっとそういう事なのだろう。「セロトニン」の主人公は絶望の中、行き着くべき所に一直線に向かっていく。自分は踏ん張れるのだろうかと不安になり、これを読んでいる間は眠れない夜もあったくらいだ。攻撃的な文章も新鮮で、面白い小説だった。

 

土曜日

友人と食事をして、とても楽しかった。人と話すっていいなあ。

 

日曜日

のんちゃんと電車の練習。今日はベビーカーで3駅乗れた。最初だけ少し泣いたけど、なんか大丈夫になったらしく泣き止んだ。この先もコンスタントに乗るようにしよう。

また子供服を作ろうと思って夫に色の相談をしていた。ディズニープリンセスみたいな色合いばかり提案してくるので、それはプリンセスすぎない?と言ったら「プリンセスがプリンセスの服を着て何がいけないんだっ!」との事。確かに夫の言う通りではあるが、プリンセスがまだプリンセスになる前の、パッと見素朴だけどプリンセスの輝きが隠しきれない!みたいな状態にしたいんだけどな。それって何色?

 

月曜日

のんちゃんが3時頃爆夜泣きをして、4時頃また寝たんだけど、私はそこから朝まで眠れなくなってしまった。そういう時、天井を見つめながら、私はアダルトチルドレンだ……とか、私は子供に何も教えられることがない……とか暗いことばかり考えてしまうので、朝6時にのんちゃんが起きて笑ってくれた時は、なんか嬉しくてちょっと泣いた。

のんちゃんの姿を見ている時、雄大な自然を眺めている時と同じ気持ちになる。夜泣きにイライラすることは、海や山にイライラしているのと同じなのだ。美しく優しく強いその存在を、そのすべてを、我々はただ受け入れる事しかできない……。

私はそういう悟りモードでやっていこうかなと思っているのだが、夫はシナぷしゅの歌に「ヨナキシナイッ」とサブリミナル歌詞を入れ込むという独特の方法で、夜泣きをやめさせようと努めている。

 

火曜日

映画館で「ブラックパンサー ワカンダフォーエバー」を見た。とても良かった……。今はまだ、多くは語るまい……。

来年公開する「バビロン」の予告をやってた。楽しみだな。