読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

人生と選択

日常生活

先日、出先でバスに乗ったら具合が悪くなりました。

 

子供の頃から車が苦手で、乗ると大体オエってなります。

オエってなるとなぜだか、本当になぜだか意味不明で今だに許せないんですが親に怒られたりとかして、その後のすべてのことが楽しくなくなってしまうということが頻発しました。

 

今は大人だから、オエってなったら「やっぱりオエってなるなあ」とおもいながら、お金を出して休憩します。

こういう瞬間に、大人になれて本当に良かったとおもうのです。

 

理不尽と不自由にまみれた子供時代はまるで修行のようだったなと感じます。

 

 

f:id:oshirigenki:20151217215859j:plain

色が気に入っていて捨てられないゴミのことも、誰にも怒られない

 

 

バスを降り、休憩しようと駅前のビルに入ったら、サンマルクカフェとイタリアントマトカフェジュニアが並んでいました。

 

わたしはこういう日常のくだらない選択に弱く、パっと決めることができません。

即答できるのは、行きつけの料亭で聞かれる「白米になさいますか?五穀米になさいますか?」ってやつだけです。

 

このときも一瞬アワワ…となったのですが、サンマルクカフェの方が店内が薄暗かったので、そっちにしました。

 

また、具合が悪くて本当は白湯が飲みたかったのですが、へんてこなオーダーをして「ハア…ちょっと店長に確認します…」と言われたら平気ではいられないため、紅茶のホットで我慢することにしました。

穏やかな日常には我慢も必要です。

 

しかし、会計をしてカップを受け取ってみると、白湯に自分でティーバッグを入れる方式のやつだったのです。

予期せず白湯にありつけました。

 

 

これは店の選択、そして商品の選択が大成功だったと言えます。

 

白湯を口に含むと、この成功を掴むまでの苦難の数々が走馬灯のように浮かんできました。

 

悪心。

不慣れな土地。

バス代380円(高い)。

スイカの残額がないことに気づき、焦る気持ち。

初めてのバス内での両替。

 

そして、サンマルクカフェか、イタリアントマトか、迫られる選択…。

 

 

人間の生活は選択の連続です。

 

自分の選択によって何か悪いことが起こると、落ち込みますよね。

それが重なってくると、自分で考えることを放棄したくなり、「なんでもいいから誰か決めてくれ!」と叫び出しそうになることもしばしばです。

 

逆に、良いことが起こると嬉しいし、今後の選択への自信もついてきます。

 

死ぬまで選択を続けていかなければならないこの生活においては、たとえどんなに些細な成功であっても、次の選択をするための糧となるのです。

 

 

 

そんなことを考えていたら、サンマルクの女店員が若いアルバイトをでかい声で叱りつけ始めたので、「あっ失敗した」とおもってすぐに退店しました。

オエってなってるやつは、電車で座ってたら治った。